自分の知らないところで、自分の未来が決められていく。
反発したい。だが、反論するだけの要素が、聡の手の内にはない。
電車を降り、駅を出た。自宅へ向かった。
ベランダを器用に登り、窓から自室へ忍び込む。体が大きいわりに、聡は身も軽い。こうやって親に内緒でこっそり家を抜け出すのは何回目だろう? 美鶴が自宅謹慎を受けていた頃も抜け出した事があった。
だってさ、逢いたいじゃん。
だが、会えたためしがない。
ベッドに横になり、携帯を弄くる。やはり美鶴からのメールは無い。
ふと、隣の部屋から声が聞こえたような気がした。悲鳴のような歓声のような、とにかく聡があまり好まぬような少女の声だ。だが耳を澄ましてみても、何も聞こえない。
空耳か。
寝返りを打つ。
どうせ隣では義妹がくだらない恋愛ゲームにでもハマっているのだろう。親は知らないようだ。バラして嗤い者にしてやろうかと脅した事もあった。そんな聡に緩は毅然と反発した。
「力任せに脅す以外に方法はありませんの?」
他に方法など、あったのだろうか? あったのなら、なぜ俺は、それが思いつかなかったのだろう?
ツバサは聡の事を、優しさが足りないと言った。
俺が優しくないから、だからなのだろうか? だが、優しさとは?
お試しのように田代里奈に謝ってはみたものの、大した反応は返ってこなかった。
試した相手が悪かったのかもしれない。そもそも田代に優しくしたところで、俺に何の得があるっていうんだ? アイツからどんな反応を期待していたんだ?
美鶴だけに優しくしたって意味はない。その考えに間違いはないとは思うのだが、関係のない田代里奈に優しくしてみても、肝心の美鶴に優しく接する機会がなければ意味がないではないか。
美鶴のヤツ、何かあるとすぐに突っかかってくるんだから。さっきだって、俺的にはかなり優しく言ったつもりだぜ。それが何だ? 一方的に門前払いかよ。なんか、田代に謝ったりして損した気分だ。そもそも、俺には優しくするなんて芸当、できないのかもしれないな?
なぜ?
「人の弱みを握って脅すか。やり方が卑劣だな」
俺は、卑劣なのだろうか?
卑劣だ。
もう一人の自分が囁く。
お前は卑劣で愚かだ。それは自分でもわかっているはずだ。
拳を握る。
わかってるよ。わかってはいるけど、じゃあどうすればいいんだよ。
結局は答えが出ぬまま、今夜もまた聡は、眠れぬ夜を過ごすハメになりそうだ。
嫌な視線だった。
瑠駆真は思い出し、グッと唇に力を入れる。
帰り道、小童谷陽翔の姿を見かけた。自分を待っていたのか、それとも偶然か。一瞬で去ってしまったのだから、何か話があって待ち伏せされていたワケではないだろう。だが、偶然とも思えなかった。
挑むような、嗤うような視線を、流し目のようにこちらへ投げてよこしてきた。
何だ?
背筋がゾクリとした。思わず立ち止まってしまった。そんな瑠駆真などお構いなしで、陽翔は無言のまま路地へ姿を消した。
何を考えている?
美鶴の謹慎が解けて以来、彼とは会話らしい会話も交わしていない。瑠駆真を人殺しと罵ってくる輩だ。学校に復帰した美鶴に何か手を出してくるのかと警戒もしていたが、今のところ、そのような気配はない。
美鶴と小童谷は同じクラスだから、何かしてくるかと思ったが。
廿楽華恩は自宅療養が続いている。推薦入試は決まったようなものだと聞く。出席日数さえクリアしていれば、大学受験は何の問題もないらしい。
受験もしてないのに?
辛辣な嗤い声を出しそうになり、ふと真顔に戻る。
大学受験。
瑠駆真も進路相談は受けていた。
「君の保護者の方とうまく連絡が取れなくて、お父上様のご意向がまだはっきりとはわからないのだが、君は何と言われているのかな?」
開口一番、そう聞かれた。呆気に取られて答えられなかった。
アイツの、意向?
中東人の顔を思い浮かべる。父親だと認めたくもない男。
「知りません」
素っ気なく答える生徒に、担任は軽く嘆息をし、紙を一枚差し出してくる。
「一応、学校側としての希望を列記してみた。だが君のような立場の人間なら、海外の大学を受験する事も珍しくはないだろう。希望の進路がわかりしだい教えてもらいたい。こちらとしてはすぐにでも対策を立てる。海外の大学を目指すなら、それなりの特別なカリキュラムを組むつもりだから」
結局、瑠駆真の意向など聞いてもくれなかった。
君のような立場の人間なら―――
一礼して部屋を出ようとする瑠駆真を、担任は躊躇いがちに呼び止める。
「何か?」
「あぁ、いや、その」
言い澱み、だが言わなければならないと自分を叱咤して口を開く。
「君の素性が露見してしまった事には、学校側としては反省している。素性を隠してというのが条件だったのに知れ渡ってしまって、こちらとしては本当に配慮が足りなかったと思っているらしいんだ」
らしいんだ、などといった、まるで自分には関係のない事のような口調で担任は続ける。
「だが、学校側としてはこうなってしまった以上、君に何かしらの被害や騒動が及ばないよう、最善を尽くすつもりだ。もし希望なら君一人のための特別学級を設置してもかまわない。だから―――」
だから、学校を辞めるなどとは言わないでほしい。
それが学校側の本音。
「本当は、浜島教頭が自ら申し出たいとのことだったのだが、教頭先生は何かと忙しいようで」
言いながら額の汗を手の甲で拭う。エアコンが効きすぎているのだろうか?
「その、つまり、先ほどの進路の件と合わせて、この件に関してもお父上様に伝えていただきたく…… 必要ならばこちらから出向いても構わないので」
「伝えておきますよ」
いつ終わるのか予想もできない担任の言葉を遮るように、瑠駆真は短く答えた。
「伝えておきます」
もう一度言い、ホッと安堵の表情を浮かべる担任へ無表情な視線を投げ、瑠駆真は部屋を出た。
伝えてはやるさ。いつになるのか、わからないけどね。
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